肥後の石橋物語

 参考資料1年表

年代 できごと
1643(48) 如定(中国の僧)長崎中島川に眼鏡橋架橋(日本初)
1765 林七、誕生
1792 三五郎、誕生
1782頃 長崎奉行所役人藤原林七、眼鏡橋への疑問を持ちオランダ人より技術を学ぶ
1821 干拓工事の功績により、三五郎肥後藩より苗字(岩永)を許される
1822 丈八(勘五郎)、誕生
1841 三五郎、薩摩に招聘される(卯助、宇市、丈八、甚平などを同行)甲突川五大橋その他を架橋、滞在期間9年
1849 三五郎、帰熊
1851 三五郎、没
1854 丈八、通潤橋の功績により橋本姓を許される
1870 丈八、勘五郎と改名
1872 丈八、上京し、二重橋、万世橋、浅草橋、神田橋、日本橋などを架橋
1874 勘五郎、帰熊
1897 勘五郎、没
●肥後の石工系図

 

 参考資料2江戸時代の架設石橋

地  域 石橋総数 江戸期に架設された数
本  州 18 16
福  岡 13 8
佐  賀 4 2
長  崎 41 21
熊  本 173 121
大  分 68 48
宮  崎 10 7
鹿児島 77 30
沖  縄 14 8
418 261
江戸期に架設された石橋 本州:九州=4.3:95.7(現存6.13:93.87)%
九州他県:熊本=56.75:43.25(現存50.7:49.3)%
●参考文献
「石橋は生きている」山口祐造著 葦書房
FS FUKUOKA STYLE 特集「石に聞く」 福博総合印刷(株)

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